桜はじめてひらく

心が自由になる場所

偉大なる、あきらめ道。

自分の内なる場所が活発に新陳代謝をしている。

 

ここしばらく、そんな感じで過ごしている。

 

無意識の領域にもぐりこんでいた、自分の見たくなかった部分が顔をだした。

もう、見て見ぬ振りも、ふたをすることもしない。

 

それは楽なことではない。

 

だけれど、わたしをこの世に送り出してくれた数えきれない多くの存在があり、支えがあり、守ってもらい、今日もこの一日をいただいたんだから、

 

わたしはわたしを生きるという一つの尊い役目を果たさなくちゃならない。

 

これは、なにもわたしだけのことではなく、すべての人に言えること。

 

だから、今苦しくたって、前を向いて歩くんだよ。

苦しい気持ちを愛して、抱っこして、生きるんだよ。

そうしたら、自分の後ろに道ができていくから。

いつだって、先頭をあるくのは己自身しかいないのだ。

 

でも、そうは言っても自分の嫌な部分を見るなんて苦しくって耐えられないよ。

 

人間だからそう思うのは自然なこと。

 

だから、耐えがたいほど苦しいからこそ、「あきらめ」が重要になってくるのです。

 

もうごまかすのも、取り繕うのもやめよう。

 

無理なんだから。

 

わたしはわたしでしかない。

あなたはあなたでしかない。

 

あきらめよう。

そこからなら、歩き出せるから。