桜はじめてひらく

心が自由になる場所

本当は嫌い。

 

居心地の悪さを感じる出来事があって、なぜだろうと考えていたら

ふと「劣等感」という言葉が浮かんだ。

 

ああ、そっか。

 

もくもくと雨雲のように不安が広がったのは、自分の一番痛いところを刺激されていたからだ。

ズキズキと、本当に、胸が痛い。

 

でも、だからって、どうしてそれが急所になっているんだろう?

これが自分じゃなくてほかの誰かのことだったら

「なんだ大したことないじゃない」って言えるのに。

 

そうなの。

わたしね、気がついた。

 

これまで自分のことを好きだと思ってきたけれど、そう思いたかったんだなって。

 

本当は自分が嫌い。

 

嫌いだなんて悲しいのに、そこから不思議と力が湧いてきた。

 

これまで、ああしなきゃ、こうしなきゃ、こうあるべきと理屈に手綱をにぎらせて

自分を縛ってきたことが少しずつわかりはじめた。

 

「こうあるべき」は、こんな自分だったらいいのになぁという夢物語。

 

理想の自分像を手放したら、あるがままの不完全な自分を

抱きしめて歩むことができる。

力の源泉はそこにある。

 

わたしはわたしでしかない。